ヘッドフォンチルドレン感想。無駄に長い上自分だけが楽しい文章なので興味ない方はスルースルー。


・扉(あとで)
・運命複雑骨折
『それでも歌いたい 歌わなきゃ気が狂いそうさ』
「扉」とは打って変わって激しい歌い方。この切替は流石ばっくほーん。流石山田氏。
彼らがこれまで抱いてきた葛藤とかそういうものが凝縮されたような曲ですなあ。「芸術は所詮排泄」「クソを賛美してクソに人生をかけて…」「売れればいいけど売れなきゃただのクソ」(クソクソ連呼してすいません)
そして何より強烈なこの一節。「歌いたい事も無く 歌うべき事も何も無く」
氾濫する歌、芸術、『自称』芸術。言いたい事はとっくに誰かが言っている。歌うべき事、歌を通じて表現しなければならないことなんてもう何も無い。


それでも。
業のように。


最終的には儲けに繋がる。最終的にはそれで飯を食う。「空腹に負ける才能」。それをジレンマに感じることもあるのだろうけど、どっちがいいとか悪いとか、そういう話ではないのだよね。
歌わないと生きていけない。食べないと生きていけない。その二つが同じレベルで存在していたっていいじゃない。運命は、複雑骨折。


・墓石フィーバー
『どうせ死ぬなら一人は厭だ』
なんだろう、この曲聞いたとき凄い既視感(既聴感?)があったんですよね。この投げやりな楽しさというか、退廃的なんてかっこいいもんじゃなく、笑うしかないから笑う、とりあえず笑ってみたら止まらなくなった、みたいな雰囲気。
で、思い出したのがライブDVDの冒頭に入ってた紙芝居。妖怪の宴。人間の世界に馴染めないもの、どんどん生き辛くなる世界、それでもどうにか生きているものたち。
同じように生き辛く、同じようにあっぷあっぷしているものたちの、ひとときの宴。そこでばかり、ほんの少しだけ呼吸が楽になる。同胞の墓石が増えていく事さえ、そこでだけは笑い話にできる。次に誰が墓石になってもおかしくないから。
陽気な曲調の中にあるとてつもない空虚。そんな印象。


・コバルトブルー
『この夜が明ける頃俺たちは風になる』
「勿忘の花びらを舞い上げて吹き抜ける」って物凄い表現だと思います。風、私を忘れないでの花言葉を持つ花を散らして舞い上げて、吹き抜けていく、風。
それは「忘れてくれ」という意思なのか。或いは、そんな花言葉になど頼る必要もないぐらい深く深く刻み付けておいてくれ、という悲鳴なのか。いずれにせよ感じるのは、強い、願い。
知覧の特攻隊記念館に行った衝撃で書いた歌だそうです。というと何だか不謹慎に聞こえますな…。
菅波氏は、受付から数歩入ったところで動けなくなってぼろぼろに泣き崩れたとか。「そこにある死の気配を感じたんだと思う」と本人は言ってましたが。
しかしそういう方向から見てみると、この曲、重いです。非常に。「風になる」もそうですが「あどけないまま眠る横顔 震える胸」とかね、「愛しさも淡い夢もこの空に溶ければいい」とかね、もうね…。
・゜・(ノノ)・゜・


・夢の花
『そしていつか強く咲き誇るように』
単体で聴くと微妙ながらアルバムで聴くとそれなりにそれなりな曲part1(何様だ)。私はどうも松田氏の書く詞が好みではないんですが、曲として良いか悪いかと言われると良いと思いますよ(←?)
ただし感想と言える感想はない。うん微妙。


・旅人
『綺麗な水なんかないのに』
嫌いな曲ではないですがむしろ好きなんですが全体的な印象としては「バンプが歌ってそう」。詞から曲から歌い方までバンプ臭い。ちょっとこれは酷すぎやしませんか菅波氏。方向性は割と(否、かなり)好きなんですが…


・パッパラ(あとで)
・上海狂想曲(あとで)


・ヘッドフォンチルドレン
『ヘッドフォンの中になんて救いはないよ』
淡々と紡がれるいたみ。くるしみ。運命複雑骨折とはまるきり違う曲調ですが、抱えているものは同じだと思う。歌うことの矛盾。それでも続く業。
どれだけ綺麗な歌があったって、どれだけ理想を歌ったって、結局何も変わらない。変えられない。救われたような気になって、本当は現実逃避しているだけ。
結局は売れるか売れないか、受け入れられるかそうでないか。一年もすれば忘れられてしまう歌、声、悲鳴。


そんなものに縋ったって何も無いよ、と歌う。うたいびとが。


運命複雑骨折が名前の通り外傷(骨折)なら、こっちは心の疵です。深く深く、痛い。それを真っ向から見つめている。
うーん、正直キズナソングよりこっちのほうが名曲だと私は思うのですが。暴言かしら。


キズナソング
『だけど時は過ぎて悲しみは巡り』
割愛(笑)。キズナソング(シングル)発売当時にこの曲については思うさま語ったのでそちら参照で。


・奇跡(あとで)