気の迷いなんです





「それは、きっととても簡単な事だ」




月光を反射して黒く、時折翠に煌く目は、静かに道の先を見据えている。
左肩を濡らす晩秋の雨。




「僕らには言葉があり、言葉を紡ぐ声帯と唇があり、」




オレンジの街灯に照らされた並木道。
街灯が葉よりも下にあるせいで、暗闇に浮かび上がるその様子がまるで篝火のようだった。
闇を払うにはあまりにも弱く冷たく、それでいて確かに道を示す。




「声帯を震わす空気も、その流れを制御する肺さえも」
「…そうだな。でも、」




その通り、言葉にすれば全くもって容易、極まることだった。それは。
湿り気を含んだ髪が頬に張り付く。除けたいな、と思っても、
右手は傘、左手は鞄で塞がれている。
横を歩く人物に鞄を渡してしまえばいいだけの話なのだが、それもまた、大儀だ。




「方法と手段があったところで、選べないことだってある」




その道を行くことができると知っていても、渇望があったところで、
どうしても選ぶ事ができないときだって、ある。


立ち止まって向き合い、少しだけ高いところにある顔に漸く向けられた眼差しは、
切り立った崖から一筋落ちる瀧のようだ。
一本しかない傘の落とす影が、少し邪魔だと思った。
迷う事を知らないくせに何処か脆い青年の顔がよく見えない。




「僕が僕であることを手放せないように、かい」
「そんなのは、俺たち全員が同じだったろう?」




譲れないものがある限り、手を伸ばせないことは矢張りある、のだ。
懐かしい日の面々を思えば、彼の人物が同様に、大人達の想像もつかないような
重荷を背負い込んでいると知ったところで、驚きもない。
その代わり、判ってしまうからこその辛さがあった。


彼は彼の手荷物を捨てない。出来ないのではなく。
だから声も無く助けを乞うて叫んでいるのを知っていても、
助けてくれ、助けてやってくれと、悲痛な声が聞こるようであっても、
それらは決して言霊にはならず、ただ消えて逝くだけだ。


同じような悲鳴を五年前にも幾度か聞いた。もう五年も前なのか。




翡翠
「君は、つくづく、お人好しだな」




旧い友の名を呼ぶと、全ては予想されていたのだろう、
間髪いれず返ってくる玲瓏な声に、苦笑した。


ぽつりぽつりと夜道を照らす篝火が続いている。
熱を持たない灯りのひとひらが雨に落とされ、微かに音を立てて傘を打った。




- - - - - - - - - -




主如でも如主でもないですよ。と最初に断っておきます。
ただしい●龍妖魔学園記10話はこうなのかしらと妄想した一品。
ついでに私のnounai鯖にいるこの人を真面目に書くとどうなるんだろうという実験。
ものすごく寡黙な人という設定があった筈なんですが、どこへやら…